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2017年09月12日

本能寺の変

「本能寺の変」の直後に、明智光秀が紀州の武将に送ったとみられる密書の原本が見つかったそうです。

 本能寺の変で織田信長を討った重臣の明智光秀が、反信長勢力とともに室町幕府再興を目指していたことを示す手紙の原本が見つかったと、藤田達生・三重大教授が発表した。変の直後、現在の和歌山市を拠点とする紀伊雑賀衆で反信長派のリーダー格の土豪、土橋重治に宛てた書状で、信長に追放された十五代将軍・足利義昭と光秀が通じているとの内容の密書としている。
(「毎日新聞」より抜粋引用)


本能寺の変は、変な(?)ダンスが流行ったこともあり、歴史上の事件としてはあまりにも有名です。





1582年に重臣であった明智光秀が謀反を起こし、本能寺に宿泊していた主君・織田信長を襲撃した事件のことです。


本能寺に宿泊していた信長軍30名に対し、襲撃した明智軍の数はなんと1万3000人。

圧倒的多数に勝ち目はないと思った織田信長は、寺に火をつけた後に自害をしたとされていますが、その死体はいまだに見つかっていないそうです。


歴史上の最大のミステリーのひとつとも言われていますが、謎とされている部分は以下の2点です。


 @なぜ、明智光秀は主君である織田信長を裏切ったのか
 A信長の死体はどこにいったのか


@の謎については、「本能寺の変ダンス」では、「信長が光秀をイジりすぎたから」と説明されています。

本当のところはそうなのかもしれませんが、この点につき、今回の密書の発見により、「室町幕府再興を目指していた」という政権構想のもとによるものであったことが明らかになりつつあるのです。


そして、この書状は本能寺の変から10日後に送られたものであるそうです。


「三日天下」と言われるように、明智光秀は本能寺の変から十数日の後に豊臣秀吉に討たれてしまいます。

つまり、秀吉の大軍が間近に迫りつつあったときに、この書状は送られています。


ひょっとして、援軍(?)を求めるような気持ちもあったのでしょうか。


いずれにせよ、@の謎「なぜ、明智光秀は主君である織田信長を裏切ったのか」については、このような歴史的な意味があったということで、いずれ教科書に追記がされそうです。


ただし、個人的には「本能寺の変ダンス」にあるように、本当の理由は、信長が光秀のことを「ハゲ」とイジりすぎたからではないかと思っています。

光秀が本当にハゲであったかどうかは(剃っているので)分かりませんが、歴史上の事件の背景にこのような “個人的な怨恨” や “個人の秘密隠蔽” などがあることは多々あるからです。



映画「本能寺ホテル」を無性に観てみたくなりました。


posted by Descartes at 09:23 | ニュース | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする