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2018年08月09日

原爆の日 原爆ドームと浦上天主堂

今日(8/9)は、長崎の「原爆の日」です。

そして先日(8/6)は、広島の「原爆の日」でした。


被爆は、今から73年前のことです。


そして、広島には被爆当時の形のままに「原爆ドーム」が、今も残されています。


原爆ドーム.jpg


核兵器による惨状をそのままの形で今に伝えるためです。


世界遺産にも認定された建物ですが、実は、戦後には「解体すべきか、残すべきか」という議論が続いたのだそうです。

その残骸が、悲惨以外の何物でもなかったからでしょうか。


10年以上に及ぶ議論の末に保存が決まったのは、1歳のときに被爆し高校生のときに白血病で亡くなった「楮山ヒロ子さんの日記」がきっかけだと言われています。


その日記(亡くなる前の年)には、次のように綴られていました。

あの痛々しい産業奨励館(現・原爆ドーム)だけが、いつまでも恐るる原爆を世に訴えてくれるだろうか。


楮山ヒロ子さんが願っていたものは “平和” です。

そして、その平和を伝えるために “痛々しい産業奨励館” はあの場所に残っていて欲しいと思ったのです。


この日記の存在により、「広島折鶴の会」の学生たちが産業奨励館の保存に対し働きかけ、現在の原爆ドームになりました。


一方、長崎の「原爆の日」というと、多くの人が思い浮かぶのは「平和祈念像」ではないでしょうか。


平和祈念像.jpg


この像は、被爆10周年を迎える1955年の8月8日に建てられたもので、当時のままに残る原爆ドームとは、また違った意味合いのものです。

長崎の原爆では、残骸を残すこともなく多くの建物は消失してしまったのでしょうか。


実は、長崎にも被爆の様子を伝える “シンボルとなり得る” 建物が残っていました。


カトリックの教会である「浦上天主堂」です。


東洋一の規模を誇る大聖堂でしたが、被爆により、赤レンガの壁だけを残す悲惨な姿となってしまったのです。


被爆直後の浦上天主堂.jpg
(画像:「浦上天主堂 | 長崎市 平和・原爆」より)


そして、わずかに残った赤レンガの壁も戦後13年目に取り壊され、現在は新しく「浦上カトリック教会」が建造されています。


浦上カトリック教会.jpg


ですが、実は、この浦上天主堂についても “赤レンガの残骸のまま” 保存する形で話が進んでいました。


当時の長崎市長である田川務氏も浦上天主堂の保存を強く主張していましたが、市長が1956年のアメリカ視察旅行から戻ると、一転して、浦上天主堂を取り壊す方向で話が進んでいったのです。

あくまでも想像でしかありませんが、アメリカ側から何らかの働きかけがあったと考えて間違いないと思います。


何故、米国は浦上天主堂を取り壊して欲しかったのでしょうか?


一説として、長崎の浦上天主堂近くに原爆を投下したことによって、多くの “キリスト教徒” が亡くなったことが理由ではないかと言われています。


「多くのキリスト教徒の命を奪ったのは間違いだった」ということでしょうか。


原爆を使用したことについてはどう思っているのか、気になるところです。



傷壁―失われた原爆遺構旧浦上天主堂

 ↑ 被爆後、解体されるまでの浦上天主堂が描かれた絵画集です。

posted by Descartes at 13:24 | ニュース | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする